黒川くろかわ 理恵子りえこ

愛媛県議会議員(西条市選挙選出)
NPO法人理事長


愛媛大学大学院 卒業
元西条市議会議員
愛媛県議会経済企業委員会副委員長

2021年 自民党愛媛県連第3選挙区 副区長
愛媛県議会総務委員会副委員長

とにかく物事を前に進めて、ぶつかったら他の道を探して進むと言った創業者タイプのビジネスマンの祖父と、物事を固く考えて石橋を叩いて壊しても渡らないという典型的2代目で封建的ですが、議員が天職のような弁の立つ父の両方の影響を受けました。なので、チャレンジャーで前へ進むタイプではありますが、シャイで我慢強い面もある自分です。

生年月1962年3月(寅年魚座)
血液型O型
兄弟弟妹あり 長女
好きな色
好きな食べ物おにぎり、和菓子、果物(みかん・スイカ)
好きな俳優・歌手コトノ、長淵剛、中島みゆき、キアヌ・リーブス、メリル・ストリープ
趣味茶道、映画鑑賞、宇宙の真理探求、読書、キャンプ、登山、
ガーデニング、DIY、 ダンス 、勉強
性格明るい、前向き、泣き虫、
感受性が豊か、直観力、体育会系女子
得意なこと木登り、テニス、家事全般、子育て
苦手なこと細かいこと、事務仕事、裁縫(不器用です)

とにかく物事を前に進めて、ぶつかったら他の道を探して進むと言った創業者タイプのビジネスマンの祖父と、物事を固く考えて石橋を叩いて壊しても渡らないという典型的2代目で封建的ですが、議員が天職のような弁の立つ父の両方の影響を受けました。なので、チャレンジャーで前へ進むタイプではありますが、シャイで我慢強い面もある自分です。

生年月1962年3月(寅年魚座)
血液型O型
兄弟弟妹あり 長女
好きな色
好きな食べ物おにぎり、和菓子、果物(みかん・スイカ)
好きな俳優・歌手コトノ、長淵剛、中島みゆき、キアヌ・リーブス、メリル・ストリープ
趣味茶道、映画鑑賞、宇宙の真理探求、読書、キャンプ、登山、
ガーデニング、DIY、 ダンス 、勉強
性格明るい、前向き、泣き虫、
感受性が豊か、直観力、体育会系女子
得意なこと木登り、テニス、家事全般、子育て
苦手なこと細かいこと、事務仕事、裁縫(不器用です)

家族

長女(日南子)■昭和63年生まれ
■めぐみ幼稚園・神拝小学校・北中陸上部・西条高校
■私と違って要領がいい。自立している。女帝として家族に君臨していた。
次女(真帆)■平成2年生まれ
■橘花子どもの家・西条小学校・北中美術部・西条高校
■型にはまらない性格。美的センスがいい、そのせいかキチンとした時は美女に変身する。
長男(睦夫)■平成5年生まれ
■橘花子どもの家・西條小学校・北中野球部・新居浜西高校
■典型的O型。親の想像を超えたとんでもないことをやらかしてくれる(そのせいで、小学校時代はよく学校へ親が呼び出された)
ペット犬1匹(秀作)
猫2匹(ジャムとあずき)
家族
秀作
ジャムとあずき

学歴

  • 新居浜西高等学校 卒業
  • 愛媛大学大学院 卒業

経歴

  • 有限会社鈴木石材店 鈴木不動産商事株式会社 入社
  • 西条市喜多川の黒川家(株式会社黒川工務店)に嫁ぐ(明屋敷に居住 一男二女誕生)
  • 「環境ネットワーク西条地球村」代表就任
  • 市環境審議会委員 環境省環境モニター
  • 黒川サービス代表(墓石クリーニング業)
  • 特別非営利活動法人エンディング支援センターえひめ代表
  • 西条子どもの未来を考える会代表
  • 下町中あけぼの自治会へ引っ越し
  • 西条ゆるキャラ制作委員会設立
  • 愛媛県里親に認定登録
  • 西条市議会議員当選
  • 愛媛県議会議員当選

エピソード

  1. 幼少期

    新居浜市港町生まれ

    父:鈴木連太郎(元新居浜市議会議長)
    祖父:鈴木昇之進(元新居浜市議会議長)

    曽祖母、祖父母、叔母2人、叔父1人、父母、弟、妹、職人数人が住む大家族に長女として生まれました。

    6代続いた石材店の他、不動産業や農業もやっていた大変忙しい家でした。いわゆる商売人の家で毎朝の食卓で土地の売買の話や商売の話をし、日曜もなく働く家に嫁いだ母はとても大変だったそうです。いつも、そんな忙しく働く母をもっと家でゆっくりさせてあげたいと思っていました。

  2. 保育園時代

    祖父が地域のために創った港町保育園の1期生でした。幼い弟の手を引いて通いました。冬になると、みんながアルミのお弁当箱をストーブの上に乗せて温めていたのを覚えています。里帰りした時にまたうちの子どももお世話になりました。その時、私を教えて下さった先生が園長になっていらっしゃったので驚きました。

  3. 小学校時代

    3月生まれなので、発育が遅く、低学年の間は何をしても周りに追いつけず味噌っかすの様に感じていました。折り紙も折れない、文字も書けない、笛も吹けない。

    でも、高学年になると追いついてきて、運動神経が良かったこともあって消防クラブや陸上記録会などで頑張りました。 いつも登って基地に指定していた新居浜小学校の校庭にあった楠が懐かしいです。

  4. 中学校時代
    テニス部(前列左)

    初めて、学級委員になって出席を取るために、万年筆を買ってもらった時は大人になった気がしてとても嬉しかったのを覚えています。

    テニス部に入部しましたが、エースを狙えが流行っていた時だったので、部員が100名を超えていて、少年のような風貌もあって、下級生の教室の前を通ると女子に騒がれていました。 スポコンアニメの時代でもあって、スポコン少女でした。

  5. 高校生時代

    相変わらずスポコン少女でテニス一筋、学校へは部活動をするために行っていると思っていました。

    でも、教師を目指していたので勉強しないといけなかったのですが、夜になると眠くて両立は出来ず、受験に失敗しました。お陰で、違った道に進みました。

  6. 大学時代

    とにかく、友人と遊びました。友人の下宿にいつもいて、ほとんどそこに住んでいる状態でした。高度経済成長の時代に何不自由なく育ったため、特に目標もなく生きていて、好きなことをして、今から考えると勿体無い、親に申し訳ない青春時代を過ごしたと思います。

  7. 独身時代

    石材店と不動産業をしていた実家で、祖父が新しく仏壇店を始めるというのでその立ち上げをしました。祖父のサポートをして、仕入れから展示会や店作りなどを行いましたが、やり手の仕入れ先の社長との出会いもあり、大変事業の勉強しなりました。初めて1人で1日700万円を売り上げた時は少し調子に乗りました。

  8. 結婚

    お見合いを十数回繰り返し、周りのすすめもあって主人と結婚しました。実家とは違った温かい空気の家で子どもにも恵まれました。

    その時に親としてあまりにも何も知らない自分であるという認識があったので、親の学びをしたいと思い朝起き会に参加し、学ぶようになりました。朝起き会は毎朝5時から365日あるのですが、子どもの為にという一心で眠い中を起きて毎朝通いました。

    今の自分はこの時の朝起き会との出会いのお陰であると思っています。

    忙しい家で育ち寂しい思いをしたことが自分の性格に落としている影響などから、幼い時の子育てがいかにその人の人格や人生にとって重要であるかを感じていたのが、朝起きの学びで確信に変わりました。とにかく一生懸命子育てをしましたが、そのことによって自分自身の成長に繋がりました。「育児は育自」です。

  9. 地球村との出会い

    ある日弟がくれた一枚のチケットで地球村の高木義之さんの地球温暖化の話を聞き、衝撃を受けました。

    何はなくても子ども達の未来のために地球は守らなくてはと決意し、さいじょう地球村を立ち上げ環境運動家となりました。しかし、その当時に地元では、そんな話信じたくないという空気があり、世間の強い反発に押し潰され、また家族からも理解されず宗教扱いを受け、鬱になってしまい一年間閉じこもりになり、環境活動家として挫折してしまいました。

  10. 小林正観さんとの出会い

    しかし、環境に配慮しない社会を批判する地球村の姿勢にも疑問を感じ、多くの思想家に教えを求めました。

    そんな頃に、会社の倒産や離婚といったことが続き、何もかも失い人生のどん底の時期になりました。

    そんな時に小林正観さんという方に出会い、価値観やこれまでのものの見方が180度変わった様に思います。また、一番苦しい時期だったこともあり、道を求めずにはいられなくて、正観さんの講演会へは100回以上は参加しました。今でも一番の師匠です。

  11. 市議会議員選挙への出馬
    2017年2月

    さいじょう地球村を立ち上げ、環境問題に取り組んでいたものの、ボランティアでは広がりに限界を感じていた時に、市議会議員出馬の話がありました。その時、環境問題の解決のためにも、故郷のために働くためにもこれしかないと感じ出馬を決意しました。

    しかし、家族の反対に遭い、4年間待つことになりました。その後3位という成績で初当選しました。ないない尽くしの上、会社の倒産で地域に迷惑をかけたというマイナスからの出馬でしたから、この得票に報いるためにも、残りの人を地域のために仕事を残したいと固く決意しました。

  12. 県議会議員選挙出馬

    市議会議員の仕事に慣れてきたころ、先輩議員より県議選挙への出馬を奨められました。

    まだ、市議としての仕事も十分できていないので、断りましたが、再三のお話に考え始めました。そして、政治に詳しい方などに、自分の考えている政策を実現するためには、市議で時間をかけて実現したいと思っていたが、どちらの道を進む方が実現可能かと相談しました。すると、もちろん県議になることだという答えから、県議選になることを真剣に急いで考え(なにせ、お話を貰ったのが投票日の2か月まえでしたから)後援会にも相談し賛同を得たことから、出馬を決意しました。

    2020年3月県議会で初登壇